親を24で亡くした経験をフィードバックします
どうも。
本日で一周忌なので、当時色々思ったことと今になって思うことをシェアしようと思う。
親はオルタナティブがいないレアな存在だ。その親の死が自分の死より先に訪れるフェーズである人間がマジョリティだろう。日本人の平均寿命が約84歳であることから、ファクトベースで見てもパートナーや子供がいる状態で親の死を経験する人間がスタンダードだ。だが君が明日マイノリティにならないとは限らない。このエントリーは明日の君のために残す。願わくば、このエントリーのローンチがユーザにもいつか来る現実へのメイクセンスにコミットせんことを。
うちの親は風邪も引いたこものないような元気な人で、あの人を中心に我が家は回っていた。それでも最後は癌に倒れた。癌は恐ろしいもので、異変に気づいてからでは間に合わないことが殆どだ。医者の余命宣告は正しく、オンスケで進行する。ビッグデータの賜物だ。あれだけ元気な人間でも、病に伏すと感情表現に乏しくなり、最後に何も喋らなくなった。なかなか堪えるものだ。
だから僕はアドバイスする。
①親に人間ドックをプレゼントせよ
これは君が収入を得ているならばA.S.A.P.で実行する価値があるだろう。果たして人間ドックが親の死というイシューにどれだけエフェクティブかはさておいて、少なくとも親の死語「もっと何かできたんじゃないか」という無意味な後悔に悩まずに済む。癌に限らず、様々な疾病のリスクヘッジになるだろう。
だが僕が悔いたのはそれだけではなかった。親が息を引き取ったとき、僕は実家へ向かう道中だった。そう、親の死に目に会えなかったのだ。「オヤキトクスグカエレ」のショートノーティスを受け取ったとき、その覚悟はしていたが、これがなかなか酷だ。まず実感が沸かない。そしてやっとのことで親の元へたどり着いても、その頃には家族も泣き終わり一段落ついた頃で、完全に泣くタイミングを逃す。泣き所で泣くのはある種、親族に課されるタスクなのだ。タスクをこなしてPDCAを回さなければ、心は沈み、それはハレーションを生む。
故に僕はアドバイスする。
②親が病床に伏したら休職なり退職なりして側にいろ
そもそも介護もあるし、毎週末帰るのも限界がある。生き方なんて多用だし、若い頃にちょっくらニートしてようが君は大成できる。臆病なあまりプライオリティを誤るな。
自分はもっとドライなライフスタイルだと思っていたのだが、そういう人間は往々にしてもろい。一人ではなかなか辛い。
最後にもう1つアドバイスしよう。
③友達や恋人は大切にしろ
人によって気遣い方は違った。直接的に表現はしないが遅くまで飲みに連れていってくれた人、単刀直入に心配の声をかけてくれた人、一切介入せず普段通り接してくれる人、どこかからか聞き付けて悩んだ末わざわざ連絡をしてきてくれる人。その人なりの気遣いは、シュリンクしたハートに染み渡る。
改めてありがとうと伝えたい。
もっと書きたいことはあるが、サマリーはこの3つだ。
このエントリーが全ての人間にアプライ可能だとは全く思わない。もっとリテラシーを磨き、来るべき日に備えるべきだ。
君にボールが回ってきたとき、次にボールを回す人に、君のベストプラクティスを伝えるのが良い。
先に生きる人間は、後に生きる人間のために生きているのだ。
このエントリーがバズマーケティングでより多くのユーザの目に届けば、僕の生きる意味も多少は生まれる。
追記
当時東京にいた僕は、多くはない稼ぎの中毎週のように実家に帰り親の顔を見た。周りから見ても、そして親から見てもそこまで親不孝ではなかったのではないかと思う。
それでも、もう長くないと、3月31日に死ぬと分かっていたなら、もっと僕は。
そう思うことは未だにある。